21世紀の価値観による「歴史断罪」の不毛 ―リー将軍とコルベールをめぐる最近の騒擾から思うこと― – 坂場三男 – BLOGOS

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去る8月、米国南部バージニア州で、南北戦争(1861-65)時の南軍の総司令官ロバート・エドワード・リー将軍の騎乗像が人種差別反対者によって引き倒されるという出来事があった。その後、いわゆる「白人至上主義者」がこれに抗議してデモを行うと人種差別反対者たちがカウンター・デモを展開して衝突、州が非常事態宣言を発出する中、死者が出る事態になったことは記憶に新しい。

 そうした折、今度はフランスで、「全フランス黒人連盟代表者会議(CRAN)」というアフリカ系黒人の団体が、17世紀のブルボン王朝でルイ14世の財務総監を務めたジャン=バティスト・コルベールの像の撤去やその名を冠した諸公共施設・道路の名称変更を求めるという騒動が起こっている。コルベールが主導した植民地主義によってアフリカの黒人が搾取され奴隷になった過去を断罪しようという動きである。

 リー将軍は150年前、コルベールは350年近く前の歴史上の人物である。勿論、人種差別自体は依然として今日的な問題であろうが、そのことを何百年もさかのぼる過去の人物の「罪を問う」という形で騒ぎを起こすのは如何なものであろうか。それらの人物が生きた時代状況を無視し、しかも在世中の特定の行為を部分的に切り取って非難するのは公正さを欠くのではないか。

 リー将軍は米国史上屈指の名将と評価される人物で、戦後には恩赦を受け、大学の学長まで勤めている。彼個人は奴隷制に反対であったようだが、故郷バージニア州(南部)への郷土愛が強く、帰郷後に乞われて司令官の任に就いている。南北戦争の開戦前に「南部にいる奴隷の全てが私の所有であれば、戦争回避のために彼らのすべてを自由人として解放してやれるのに」と語ったという彼の言葉が今も伝えられている。

 コルベールは重商主義者として知られ、国家財政再建のために税制改革や産業発展に尽力している。植民地政策も市場開拓によって輸出を振興しようという意図から生まれており、フランス東インド会社やセネガル会社などの勅許会社を相次いで設立している。勤勉・寡欲の人としてルイ14世の積極的な対外政策を財政面から支え、フランス近世史上で最も傑出した人物の一人と評されている。

 翻って、わが日本との関係に引き戻していえば、朝鮮出兵を行った豊臣秀吉や明治維新期の伊藤博文を現在の、しかも特定の価値観・歴史観をもって断罪するに似た騒ぎであろうか。これらの人物は日本史の中で果たした役割についてその人となりも含めて総合的に評価され、年月の経過の中で一定の「人物像」が形成されているのであって、仮にその一断面に限って過去にかかわりを有した特定の個人やグループ(外国人を含む)の見地から否定的な評価を迫ったとしても、畢竟、詮無いことではないか。イスラエルとパレスチナの例を挙げるまでもなく、何百・何千年と歴史をさかのぼって理非を論じても「出口」は見えなくなるばかりであり、不毛のように思える。

 いわゆる「南京事件」や慰安婦問題にしても、これらを「歴史問題」として一括りに括って外交問題に仕立て上げ、執拗に謝罪を要求し続ける動きにも同じような違和感を覚える。21世紀の今日、もはや当事者ではない若い世代の者からすれば加害者側であれ被害者側であれ(歴史的実体から遊離した)「観念の世界」の中で功罪を争うことになり、納得し合うことは難しい。むしろ、(私見を言えば)こうした態度はわだかまりを増幅させるだけではないかと危惧する。

 「歴史を直視することでのみ互いに真の和解を実現できる」と言う人がいる。果たしてそうか。「歴史」にはそれに向き合う人によって不可避的に幾通りもの異なる解釈・認識があり、同時代を生きた人でそうだとすれば後世の価値観で善と悪、あるいは加害・被害の関係を断定しようとすることには無理が伴う。それぞれの国は多くの出来事を乗り越え、複雑な歴史経過をたどって今日に至っている。直視すべき歴史を自己の都合の良い部分のみ切り取って他者を論難することは、むしろ和解を遠ざけるのではないか。「じゃあ、そういう自分はどうなんだ」という反論が無限に繰り返され、反発し合う結果のみを招く。

 私は、かつて、ベトナムに在勤していた当時、ベトナムの人々が中国や日本、そしてフランスや米国から度重なる侵略を受け、悲惨な戦争を繰り返してきたにもかかわらず、決して「過去の問題」を取り上げず、常に未来志向であろうとする姿勢を貫いていることに強い印象を受けた。彼らは歴史の複雑さを知っており、外国に向かって「歴史問題」を取り上げても得られるものは何もなく、むしろ失うものが多いと観念しているように見受けられる

 最近、英国の人権団体がベトナム戦争中の韓国軍による地元婦女子への集団的暴行(いわゆる「ライダイハン問題」)を指弾し韓国政府の公式謝罪を要求する運動を始めたと聞く。しかし、当のベトナム政府は韓国との外交関係で決して自らこの問題を取り上げようとしない。また、米軍による枯葉剤によって多くの奇形児が生まれている問題でも正面切って米国政府の責任を問い謝罪を要求したという話は聞かない。

 リー将軍とコルベールをめぐる最近の騒動は「歴史問題」とは何かを考える機会を提供している。その際、私としては、ベトナム人の英知から学べることが多いように思えてならない。




坂場三男(さかばみつお)略歴
 1949(昭和24)年、茨城県生れ。1973年横浜市立大学文理学部文科卒業。同年外務省入省。フランス、ベルギー、インド、エジプト、米国(シカゴ)等に勤務。外務本省において総括審議官、中南米局長、外務報道官を務める。2008年、ベトナム国駐箚特命全権大使、2010年、イラク復興支援等調整担当特命全権大使(外務本省)、2012年、ベルギー国駐箚特命全権大使・NATO日本政府代表を歴任。2014年9月、外務省退官。2015-17年、横浜市立大学特別契約教授。現在、JFSS顧問、MS国際コンサルティング事務所代表として民間企業・研究機関等の国際活動を支援。また、複数の東証一部上場企業の社外取締役・顧問を務める。2017年1月、法務省公安審査委員会委員に就任。著書に『大使が見た世界一親日な国 ベトナムの素顔』(宝島社)等がある。



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