「国家主席になるなんて」習近平氏、寒村での過酷な日々 語られぬ「過去」も(西日本新聞)

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若き習氏にとってつらい日々

 毛沢東らと並ぶ共産党の「核心」という称号を得て、権力基盤を固めた中国の習近平国家主席(64)。今秋から2期目を迎える最高指導者も若い頃、陝西省延安市の貧しい村で暮らした経験を持つ。都会の若者を農村に送り込む文化大革命時の「下放(かほう)政策」のためだ。寒村での過酷な日々は後の人生にどんな影響をもたらしたのか。9月下旬、習氏の原点とも言える村を歩いた。

⇒【画像】習近平氏が暮らした窯洞に飾られていた1973年当時の写真。左から2人目が習氏

 延安市中心部から東へ車で約2時間。茶色の山肌がのぞく山間部に大きな駐車場が現れた。習氏が15歳から約7年暮らした梁家河村の入り口だ。大型バスが何台も並んでいる。習氏の国家主席就任以降、村全体が観光名所になっているようだ。村の関係者によると、住民約120人の村に1日数千人が訪れるという。

 元副首相の習仲勲氏を父に持つ習氏は、党幹部が集まる北京市中心部で育った。しかし、1962年、父が反党活動の疑いを掛けられて失脚すると生活は一変。66年に始まった文化大革命では「反革命分子の子」として白い目を向けられた。習氏が梁家河村を訪れたのは69年。都会の青年を地方へ送り、労働教育を受けさせる下放政策の一環だった。

 村では習氏が過ごした3カ所の住居が公開されていた。いずれも崖を掘って作った横穴式住居「窯洞」だ。全て補修されているが、裸電球が下がった部屋は暗くて狭い。当時の習氏らが従事したのは土木作業などの肉体労働。土を固めた寝床は布団を敷いても疲れが取れるとは思えない。習氏が最初に住んだ窯洞は6人が同じ寝床に付いたとされる。若き習氏にとってつらい日々だったことは想像に難くない。

「一番我慢できなかったのはノミ」

 「習主席? 会ったことあるよ。やる気のある青年だったね」。村に住む80代の男性は目を細めた。ただ、それ以上尋ねても「覚えていない」と繰り返した。清掃作業をしていた高齢女性も「姿を見たことはあるけど」と言葉少なだった。

 習氏の過去について口が重い村民を見て、ある事情が頭をよぎった。69年1月に村に来た習氏は、実はその3カ月後に1人で北京に逃げ帰っている。厳しい暮らしに耐えきれなかったからだ。「一番我慢できなかったのはノミだ。皮膚が敏感な私はかゆくて痛くてたまらなかった」「周囲からは冷たい目を向けられ、15歳の私は孤独を感じた」。習氏は後に国内メディアなどに当時の心境を明かしている。村内には、この事実を記した説明板は一つもなかった。

 北京に戻った習氏を待っていたのは楽な生活ではなかった。住民票が北京にないこともあり、工事現場で働く日々が続いたとされる。親族に説得された習氏は結局、数カ月後に再び梁家河村に戻った。

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