75Mの煙突から見たヘル朝鮮 – レイバーネット日本

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[ワーカーズ ルポ]ファインテック支会高空籠城は408プラスアルファ

パク・タソル記者 2018.01.29 14:16

[出処:キム・ハンジュ記者]

ソウル気温が零下18度まで下がった日。
こんなに寒い日には木洞熱併合発電所の四本の煙突から休みなく煙が出ていなければならない。
だがどうしたことが、一本の煙突からは煙が見えない。
その代わりにその煙突の上には赤と青の横断幕がはためく。
一日二回、空からロープが降りてくる所。
夜になれば一群の人々が集まって、そこに向かって手を振る。

ファインテック労働者のパク・チュノとホン・ギタクがその煙突に上がったのは2017年11月12日の午前4時30分頃だった。
彼らは螺旋形の階段を登った。
煙突の中間からははしごを登らなければならなかった。
我を忘れて到達したところの高さは75m。
彼らはSNSで高空籠城の開始を知らせた。
そして、
△民主労組死守、スターフレックスのキム・セグォン代表理事の3継承(雇用、労働組合、団体協約)履行、
△労働悪法撤廃、
△ヘル朝鮮悪の枢軸(独占財閥、国家情報院、自由韓国党)の解体を要求した。
約束ない煙突の上での生活が始まった。

民主政府で「闘争!」を叫ぶ

会社が二回も変わる間、500人を超えていた組合員は5人に減った。
経歴は一切認められなかった。
使用者側は「経営危機」を理由に、一方的に整理解雇を強行し、
大韓民国はこれを容認した。
韓国合繊の労働者であり、スターケミカルの復職者であり、ファインテックの労働者の彼らは、苛酷な歳月を生き延びた。
そして彼らは社会の土壌を変えない限り、解雇は止まらないことを経験の中で体得した。

闘争の条件は容易ではない。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領は労使間の問題は対話と妥協で解けという人だ。
文大統領の労働分野での動きは国民からの厚い信任を受けているように見える。
労働界の内外では「社会的対話」という薫風が吹いている。
和やかな対話の雰囲気の中にふと割り込んだ「闘争」は、
社会のどこかから浴びせられる冷水のようだ。

だが仕方がない。
彼らが使えるカードはもう一枚しか残っていなかった。
「対話」というカードはすでに品切れになって久しい。
「本当の社長」、スターフレックスのキム・セグォン代表は
「君たちの中で処理しなさい」と線を引き、
名ばかり社長のファインテックのカン・ミンピョ代表(スターフレックス専務)とは18回の交渉にもかかわらず、
合意点を見出せなかった。

ある人は彼らの政治的要求について「それが韓国社会で可能な話か」と懐疑的な反応を示す。
別の人は当然な「政治的修辞」として片付けたりもする。
だが彼らはあまりにも激しく真剣だ。
彼らが掲げた要求は、ファインテック支会に残った5人の労働者が激しい内部討論を経て作り出したものだった。

ホン・ギタクは
「労働者が国家情報院、自由韓国党、独占財閥解体を叫ぶのは、論理的に当然の帰結だった」と言う。
彼は「朴正煕(パク・チョンヒ)の時期から労組を作った労働者たちが連行されて拷問され、
真相究明もできない疑問死も残っている」とし
「ヘル朝鮮を作った守旧政治勢力と国家情報院、独占財閥は、
改革では絶対に変えられず、解体する方法しかない」と声を高めた。
パク・チュノは「韓国社会の根元が変わらないので繰り返されている」とし
「キャンドル政局でセヌリ党解体、国家情報院解体、独占財閥解体などを要求したが、
市民の力で誕生した政権は子供だましの式のアクションをするだけだ」と批判した。

食い逃げ社長、最後まで追う

ファインテックに残っている5人の労働者は、10年を超える闘争の歴史を共に作った。
彼らが最後に働いた忠南道牙山のファインテック工場は、
スターケミカル解雇労働者たちが3年間の復職闘争の末に勝ち取った成果であった。
チャ・ガンホの408日の高空籠城(2014年5月27日〜2015年7月8日)をはじめ、
10人の労働者たちが団結して復職の合意を引き出した。
スターケミカル(代表キム・セグォン)使用者側は、
雇用、労働組合、団体協約の3継承を約束してスターケミカルが清算手順を踏み、
新しく新設法人を作るといった。

その後、スターケミカルの親会社スターフレックス(代表キム・セグォン)は、
忠南道牙山にファインテック工場を作り、2016年1月から稼動を始めた。
工場ではそれまでに作っていたポリエステルの原糸ではなく、
テントに使われるtarpaulinを作った。
ファインテック工場の職員は復職した8人が全てだった。
共に闘争した11人のうち3人は家庭の問題で牙山行を放棄した。
復職者たちは荒野に作られた300坪にもならない小さい工場に出退勤した。
寄宿舎には扇風機もTVも、その上ふとんもなかった。
食事は一食しか提供されず、残りの二食は自腹で食べた。
時給は当時の最低賃金だった6030ウォンに1000ウォンを加えた7030ウォンだった。
各種の手当てと賞与金は何もなかった。
十か月働いて残った賃金は1千万ウォンにもならなかった。
その間、同僚3人が辞めて5人が残った。

チャ・ガンホは「初めから労働者を辞めさせて殺そうと企画された」と強調した。
「キム・セグォンは見かけだけの工場を作り、形式的に運営した後、
私たちが疲れて倒れるのを待ちました。
工場の運営も非正常的でした。
少ない人員で働くので、メインの機械は一度もフル稼働したことがありません。
開城工業団地が閉鎖され、テントの物量がものすごく不足していたのに、
一時間の残業もありませんでした」。

新設法人の代表は、スターフレックスの専務のカン・ミンピョになったが、
彼は交渉の時だけ顔を出した。
新しい団体協約を締結するために18回の交渉をしたが、
使用者側は法的義務がある条項に対してしか合意しなかった。
労組活動や労働条件については全面的に不受容の意思を明らかにした。

結局、ファインテック支会は2016年10月28日に全面ストライキをした。
すぐに朴槿恵(パク・クネ)-崔順実(チェ・スンシル)ゲートが起きた。
彼らは政治闘争に合流して繰り返される悪循環を絶ち切らなければならないと約束した。
その年の冬、彼らは全員ソウルに上京して「朴槿恵退陣光化門キャンプ村」にねぐらを作り、
政権退陣運動を繰り広げた。

その間、会社は工場の機械を撤収した。
ファインテック工場があった場所には他の事業者が入り、
自動車部品を生産し始めた。
またスターフレックスのキム・セグォン代表理事と会って談判をしなければならなかった。
だがスターフレックスの代表理事はファインテックの中で解決するべきだとして傍観した。
ファインテック労働者のキム・オクベは
「カン・ミンピョ代表はスターフレックスの専務であり、
スターフレックスの営業理事がファインテックの工場長になつたのに、
なぜスターフレックスと無関係だというのか、良心は見つけることができない」と声を高めた。

2010年10月、スターフレックスは子会社のスターケミカルを設立して韓国合繊第2工場を買収した。
破産した空の工場を守っていた韓国合繊労組は、5年間の闘争を整理して、
雇用保障と工場正常化を約束された。
だが工場稼動から1年8か月後に、キム・セグォン代表は始務式で
「供給過剰」を理由とする工場稼動中断を宣言した。
チャ・ガンホは「工場の稼動中断や海外移転、工場売却のような状況がある時、
労組と6か月前に合意して履行する手続きをすべて無視した」と怒った。
少し後に会社は勧告辞表を回した。
自分の手で辞表を書くことができなかった29人が解雇された。
解雇者復職闘争委員会が作られ、
チャ・ガンホをはじめとする解雇者11人が全面闘争を決意した。
チャ・ガンホは45mの煙突に上がり、残る10人も全国各地で闘争を繰り広げた。

チャ・ガンホは「スターケミカルは評価金額870億の工場を399億の安値で買った。
工場の敷地が3万2千坪位あって、機械も最近持ってきたものなので、
他の企業がうらやましそうに見ていた」とし
「キム・セグォン代表理事は工場を少し回して売ってしまうのが利益を残すことだと判断したようだ。
スターケミカルの株式の90%を以上持っているので、
土地相場の差益と工場設備を売却することが目的だったのだろう。
工場正常化を打ち出して食い逃げした」と話した。

揺れる75m煙突の上で粘る

地上の敵がスターフレックス資本だとすれば、高空での敵は寒さだ。
四方が開かれている75mの煙突で感じる寒さは脅迫的だ。
零下7〜8度で風まで吹けば、中にあるすべてが凍ってしまう。
地上で闘争する時は帰る家もあったが、煙突の上では帰る所もない。
狭い空間の中で動くのは、ただ繰り返される一日だ。
激しい風で煙突が揺れたりもするが、そんなときは吐き気に耐えなければならない。
ホン・ギタクは煙突が急に折れればどうしようかと思ったりもするといった。
パク・チュノは最近、胃炎の調子が悪い。
チャ・ガンホは彼の薬を準備する頻度が増えた。

高空籠城64日目の日、医師と韓医師が煙突に上がり、彼らの健康状態を診断した。
腰と肩、脊椎などの無理が大きいという。
真っすぐに横になることも、真っすぐに立つこともできない狭い空間で生活しているためだという。
胃腸の機能が弱まって、痛みと下痢などの症状が現れた。
彼らと連絡する心理治療師は、表面の危険よりも隠れた危険の方が大きいかもしれないと指摘して、
憂鬱と怒りが長くなるほど危険になると警告した。

さらに多くの顔と共に夢を見る

誰もが心配な気持ちでながめているが、
高空籠城者たちは現在の闘争が「高空籠城」だけに集中しないことを願っている。
ホン・ギタクは「共に戦った人々の存在がなくならないようにしなければならない。
一人で煙突に上がったら勝てなかった。
11人がいたし、多くの連帯の仲間たちがいたので、合意書を作れた」とした。

12月30日には「408+49」のイベントがあった。
チャ・ガンホの408日とパク・チュノ、ホン・ギタクの49日目をむかえ、
全国各地から連帯提案者を集めた。
457(408+49)人を集めようとしたが、1198人も集まった。
「408+49」の提案者のソン・ギョンドン詩人は
「パク・チュノ、ホン・ギタクは固く信念が強い友だち」とし、
「新しい人生のために率先して闘う人々のそばに、共に夢を見る人々が多くならなければならないと思って提案した」と明らかにした。

闇がおりた夜、ファインテック労働者のチョ・ジョンギが音響装置をつける。
夜の文化祭が始まった。
チャ・ガンホがマイクを持つ。
「からだは労働者なのに、頭は資本家の奇怪な怪物として生きている私たちです。
労働者の目で、労働者の頭で闘争しましょう。
私たちの高空籠城は一日では解決しません。
皆さんが現場に戻り、この事実を共有して、
その同志がまたこの場にきて、共に闘争する時、
上にいる人も早く降りて来ることができるのではないでしょうか?」〈ワーカーズ39号〉

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)

著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。





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Created on 2018-02-15 08:09:24 / Last modified on 2018-02-15 08:09:29 Copyright: Default



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